3月11日。大阪にいた。
ビルの中で大きな揺れを感じた。
携帯で大阪の義弟に電話。
東北地方で大きな地震があったとの報。
すぐさま、仙台にいる友人に電話をした。
しかしすでに繋がらなかった。
自宅に戻ってニュースでは惨状が次々に映し出される。
何度も仙台に電話をかけるも繋がらなかった。
東京の先輩、上総守殿にメールをいれる。
その日は会社で一晩をあかすとの報。
翌日家に戻ると、部屋中散乱していたが、大事なものは損壊に至らず。
ちょうど奥方様は実家に行かれて留守だったため、難を逃れられた。
昨日、仙台の友人に携帯をかける。
応答のベルが鳴る。
携帯が繋がった。
メッセージを残して切る。
そのご友人から無事の連絡が入った。
安堵、安堵であった。
今、水に困っているそうなので、
水を送ろうと店に行った。
店では、宅急便がおくれるかどうかあちこち連絡をとってくれたが
結局東北方面への荷物は送れないとのこと。
残念だがなすすべがなかった。
関東、東北では被災の上に余震が続き
さらに原発の不安が重なっている。
寒い中つらい日々を送っておられる。