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2017年 07月 27日
ブータン展(その2)
ブータンの女性の服はキラ
男性の服はゴという

キラは一枚の布を体に巻きつける
その時つかうのがコマというブローチ

ゴは日本の丹前に似た着物風の服装だが
筒そでになっている
チベット服からきているのだと思う

若い人のゴの姿は凛々しい
ティンプーのホテルで着方を教わったが
じつにかっこいい姿だ

最初にティンプーの町を歩いたときは思わなかったのだが
東の端タシガンまで行ってティンプーへもどると
ティンプーの町を歩く人々がお洒落に見えた
都会だった

キラ

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コマ
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腕飾り
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テゴ
テゴは女性がキラの上に羽織る
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ラチュ
女性がゾン(城)へ入る時や
高位の人や高僧に会う時に必要な正装の肩掛けだ
男性はカムニという布を肩から垂らしお腹に巻く
一般人は白で高位の人は黄色

ゾンに入る時に巻いていた
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酒器
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わが家にある酒器と刀
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キンマ容器
キンマは檳榔樹の実と石灰を葉で包んで噛む
南アジア、東南アジアで広く使われる嗜好品

ひとつもらって噛んで見たが
口中モロモロに広がって吐き出した
赤い唾になる
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仏像と国王のゴ、王女のキラもあった


by seascape_point5 | 2017-07-27 11:19 | ブータン | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 25日
ブータン展(その1)
兵庫県立美術館で開催されている
ブータン展に行った
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会場ではツェチュの映像も流されていた
まずは道化師アツァラ
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そして仮面たち
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会場内は一部撮影が許可されていた


by seascape_point5 | 2017-07-25 19:52 | ブータン | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 17日
ブータン紀行(その11・最終回)
 5月21日。ティンプーに帰る。
地方の町から帰ってくるとなんとティンプーが大きく見えることか。
ここは都会だ。首都なんだ。車はひんぱんに走っている。
町を歩く人の数も多いしセンスのよい人もたくさんいる。
ロングヘアーにサングラスをかけた女性もいる。
男性のゴー姿もいままでよく見かけたようなダブダブにだらしなく着た人はほとんどいない。
とくに若い人はタイトにくっきりと帯をしめて膝頭ぐらいまでたくし上げている。
格好がよい。車は圧倒的にTOYOTAだ。9割方そうだろう。
わたしたちの旅行に使った車もTOYOTA HIACEだった。
あと見たのは、三菱DELICA、韓国HYUNDAI。4WDもかなり走っている。
 ブータンは秘境だと思ってやってきた。
たしかに『秘境ブータン』のころとは違っていることはその後出された本で、
うすうすは、わかっていたつもりだ。
たしかに、はだしで歩く人もたくさん見たし、ホテルの設備はまえに述べたとおりだ。
走っている車は日本の中古車だし、社会のインフラは未整備で、
その確立にはまだまだ時間がかかるだろう。
しかしブータンはかわりつつあるのだ。
ビデオレンタルで人びとはアメリカ映画も見ている。
あるブータンの若い人が言った。「シュワちゃん」と。
アメリカの映画俳優シュワルツェネッガーのことである。そんな情報も知っている。
わたしたちがペム・ツェリン氏に乗せてもらったのはベンツだ。
ゲンボたち若い人はパソコンも持っている。
もちろんホビーとまではいかないようだけれども、ビジネスに使いこなしている。
かれのオフィスに行ってパソコンをさわってみた。
わたしの持っているパソコンよりも性能のよいのを持っている。
もちろんプリンターもレーザーだ。ただWINDOWS3.1というのをつかっていた。
WINDOWS95はないようだ。
インターネットはまだできないとのことだったが、もうすぐ可能になると言っていた。
かれらはまた、ファックスをわたしたちが使う以上によく利用しているようだ。
日本とブータンのあいだの電話、ファックスはきれいにいくとのことだが、
インドとのコミュニケーションはうまくいかないと言っていた。
 やる気のある若い人たちはいま旅行会社の経営をしているのが多いそうだ。
現在32の会社があるそうだ。これからいろんなビジネスがでてくるのだろう。
ブータン人はゴー、キラの着用が義務づけられていると書いたが、
ティンプーでは夕方になると着ていないとゲンボは言っていた。
ブータンの近代化は、日本の近代化よりもより
激しい変化を経験しているのではないだろうか。
日本では江戸時代の爛熟した文化があった。
ブータンは中世から一気に現代を経験しているのではないだろうか。
 ティンプーでの一日はたいへん忙しかった。
ガイドのゲンボの家に昼食に招待される。かれは33才。
若いがしっかりした人物だ。こまかいところにもよく気がつく。
大学はインドですごしたらしい。まさにブータンのエリートと言えるだろう。
かれの家はアパートで、現代的な住まいである。子どもは三人。
奥さんは外務省の役人だ。奥さんの手料理をごちそうになる。
マツタケのスープ、ローストチキン、モモ(ぎょうざ)、ライスもおいしい。
ジャポニカだと言った。とにかく、ブータンでもっともおいしい食事だった。
昼食のあとは内務大臣にティーによばれる。内務大臣はゲンボのイトコにあたるそうだ。
 ティンプーのゴルフ場までゆく。大臣は大柄で、パイプをくわえた、ゆったりとした人だ。
どうしてエライ人は体格がよいのだろうか。
少しの時間しかとれなかったが、ブータンに来たかったことを話す。
中尾佐助のことを聞くと知っていると言われる。
クワハラ、ナカネ、クリタという日本の蒼々たる人の名前がでる。
15分ほど話しをして大臣は車にのって帰って行かれた。車まで見送る。
車はチェイサーだった。
このあとまえに約束したKさんのペンフレンドの家と、
夜には外務大臣の家にディナーに招待されているのだ。
たぶん消防自動車のプレゼントのお礼なのだろう。
 夕方6時にペンフレンドのおねえさんが車を運転してホテルにむかえに来た。
はじめ彼女のお母さんだと思って「ユア・マザー?」と聞くと、
おねえさんが「ノー・シスター」と言った。
しまったと思ってあやまると「ノー・プロブレム」と言った。
おねえさんは活発そうなな人だ。ユニセフで働いているそうだ。
あとで聞いたところでは、やっぱりなかなかエネルギッシュな人だそうだ。
妹のほうはたいへんおとなしいのに。
約30分ほどで、外務大臣の家にゆかなければならないので失礼する。
 午後7時。外務大臣の家にゆく。大きなお屋敷だ。
暗くてよくわからないがかなり広い敷地のようだ。家のなかへ緊張して入る。
家のなかの美しいこと。アメリカ映画の清楚な家をなぜか思い出す。
大臣の奥さん、娘さん、婦人科のドクター(インド人)、婦人協会の会長さん、
ゲンボが手配してくれた通訳の男性がむかえてくれる。ひととおりあいさつをする。
緊張してなかなかうまく話しがすすまないが、
通訳の男性をとおしてブータン旅行の印象などをお話しする。
食事はもちろんとてもおいしかった。
となりの部屋に全部ホテル並みに温めて料理がならんでいる。
バイキング方式でいただく。
婦人協会の会長さんは日本の歌を少し知っていて、日本語で歌ってくれる。
娘さんは気だてのよい美人だ。ハイスクールからアメリカ・カリフォルニアですごし、
修士まですませたそうだ。今は政府の環境庁のような部署で働いているそうだ。
娘さんは日本のすしもてんぷらも大好きだそうだ。午後9時ごろおいとまする。
 翌日パロへむかう。最後のブータンだ。国立博物館、
いまは焼け落ちてしまったドゥゲゾンなどを見る。
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 夕方、パロの田園のなかを散歩する。夕暮れのなか一本道が続いている。
まわりは田んぼだ。日本のどこかのいなかにいるような感じがする。
散歩の途中の道ばたで、中学生の女の子4人ほどが話し込んですわっていた。
一緒に歩こうというと2人がついてきた。
ほかの2人は反対方向へ恥ずかしがって走っていった。
1人の子はよくしゃべる。日本人と話ができてうれしい。日本人は好きだという。
彼女は夜は9時に寝て、朝は4時か5時に起きる。
毎日片道1時間も歩いて通学するのだそうだ。
毎朝家の仕事をしてから学校へ行き、帰ってからまた家の仕事をするという。
われわれも子どものころは、よく似たような生活だった。
文房具がすこしだけあったのでプレゼントする。よろこんでいた。
学校のノートを見せてもらう。方程式をやっている。
何になりたいのか聞くと先生になりたいという。年齢を聞くと15才と16才だった。
わたしの娘と同じ年頃だ。「マイ・ドータだ」と言うと、うれしそうにした。
一枚写真を撮る。送ってほしいといって住所を書いてくれる。「リメンバー」と言った。
歩いていると、もじもじしだした。ちょうど道の分かれ道だった。
帰る方向だったのだ。ここでわかれる。
 気持ちのよい子たちだった。純情で子どもらしくて。
小さいころのいなかの小学生のころのことを思い出す。こんな風景のなか、
あんなふうに友だちと学校からかえっていたなあ。
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 どうかブータンはいつまでもこんなやさしい国であってほしい。
旅行者の勝手なエゴだとよく言われる。
これから近代化はますます加速度を増してすすんでゆくのだろう
 もう一度やってこよう。タシデレ。
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 最後まで読んでいただきありがとうございました。
ちょっと古い紀行だったので、今見るとたぶん古いデータになっていると思います。
でも、これはこれで、私の経験でありました。

by seascape_point5 | 2006-07-17 21:04 | ブータン | Trackback | Comments(2)
2006年 07月 12日
ブータン紀行(その10)
 早朝、ホテルにカンルンの大学の先生が入ってきた。
昨日会ったばかりなのにカンルンからやってきた。
たずねると今日のアーチェリー大会に出るのだそうだ。
 今日はフォーミーというところへゆく。昨日知事が招待してくれた。
アーチェリー大会があるのだ。
なぜアーチェリー大会があるのかというと、サクテンというところに
ダクパという民族が住んでいる。
かれらに知事がストーブをプレゼントするためにこの村に行くそうだ。
そしてこの村でアーチェリーの好きな人があつまってアーチェリー大会をおこなうのだ。
ダクパの人たちは、そのストーブをかついで自分たちの住んでいる
サクテンまで持って帰るのだ。
ダクパの人たちはあきらかにブータン人とはちがう。
女性はヤクの毛で編んだ黒い帽子をかぶっている。
帽子の端から3本ほど枝のように先がほそくなって垂れている。
髪の毛を編んでいるように見える。
雨が降ってもこの垂れ下がった枝をつたってながれるそうだ。
男性は黒いソフト帽だ。靴は長靴。もちろんゴーもキラも着ていない。
ダクパの民族服だ。男性は一見半ズボンのように見える。
上着はたぶんヤクの毛で編んだものだろう、
みんな腰ぐらいまでの長さの赤い上着を着ている。
英語は話さなかった。顔つきはモンゴロイドだ。
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 知事、奥さん、娘さん、息子さん、裁判長と同じテントでアーチェリー見物をする。
プロフェッサーもアーチェリーをやっている。知事も加わってアーチェリーをしている。
的と的のあいだは約150メートルほどあるらしい。
わたしはむこうの的のある場所はわかるが、的の輪なんかは見えない。
もちろん飛んでいる矢なんか全然見えない。それをかれらは当てるのだ。
当てた人は腰に当てた数だけ色つきの布をつけている。
当たるたびに、はやしたてて踊っている。
はなれたところでは、わかい女性たちがトンサで
わたしたちがおどったのと同じような踊りを踊っている。
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 休憩時間になった。アラのふるまい酒がある。
テントのまえに大きな洗面器が用意された。
村人がそれぞれビンに自分たちでつくったアラを入れて持ってきた。
洗面器のまわりにおいていく。
係りの人が集まったアラを大きな洗面器に入れはじめた。
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洗面器にいっぱいになったアラをまえに、まず僧が祈りをあげる。
そのあと集まった村人に酒をふるまう。
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 皆ふところに飲む器を持っているが、なかには持っていない人もいる。
持っていない人は器をかりて飲んでいる。うまそうに一気に飲みほす。
なかには赤ちゃんにも口にふくませている。
 テントのなかにひとり離れて老人がすわっていた。
知事が酒をやるように指示している。老人の着ているゴーは汚れてドロドロ。
目も悪そうだ。知事の娘さんがアラを持ってゆくと
入れ物がないらしく、手を横にふっている。
若い知事の部下が自分のふところから器を出して渡すと
それに注いでもらってうまそうに一気に飲みほした。
そのあとドロドロの袖口で器をふいて返していた。
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 昨日のオランダの婦人がやってきた。
話を聞くと男の人は息子だという。
水の調査にきているらしい。いまフィールドワークに出ているらしい。
4回目のブータンだという。息子についてきたらしい。なかなか活発な婦人だ。
 こうしてわたしたちのタシガンへの旅行は半分おわった。
帰りはみんな疲れていた。しゃべるのもすくない。ひたすら眠って帰った。

by seascape_point5 | 2006-07-12 22:35 | ブータン | Trackback | Comments(2)
2006年 07月 11日
ブータン紀行(その9)
 今日はタシガンだ。お昼の12時に知事に会うことになっている。8時20分。出発。
最後の峠クリ・ラを9時すぎに通る。2230メートルだ。
下りにさしかかって1400メートル付近でセミの鳴き声が聞こえる。
このあたりは道路工事を頻繁におこなっている。
 11時40分。チェックポイントに来る。旅行のあいだ何度かこのような
チェックポイントを通る。遮断機がおろされている。
外国人の行き来は監視されているのだ。
ここから真上にタシガンゾンが見える。33℃だ。暑い。
 12時10分。目的のタシガンゾンに到着。すぐに身づくろいをして、知事に会いにゆく。
ゾンへ入るとまず、副知事がでてきた。案内されて知事の部屋の前で少し待つ。
知事の部屋に招き入れられた。知事の執務机はカラフルな色だ。あいさつをする。
背の高い、りりしい人だ。180センチちかくありそうだ。
年齢も40才くらいだろうか。肩から赤いカムニをしている。
ダショーといって英語でサーにあたる人は赤いカムニをつける。
長剣をつけている。これが正装だ。緊張して、全員かしこまってすわっている。
お茶とビスケットが出る。ひとりひとりあいさつをする。
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 続いてkさんから消防車のキーの模型と、消防車の写真を贈り、
知事に受け取っていただく。窓の下から風景を見せてもらう。
はるか下に川がまがりくねってながれているのが見える。
写真の許可があって、部屋の中を撮ったり一緒に撮ったりした。
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 知事がどこかに電話をしている。電話を指さしてジャパニーズテクノロジーだと言った。
外務大臣に報告しておくと言った。知事は外務大臣の管轄になっているようだ。
 執務室を退出して、若い部下の役人がゾンのなかを案内してくれる。
僧院の中をまわる。急なはしご段をのぼる。
かれは「ゴーアップヒマラヤ」とわらいながら言う。なかなかおもしろい人だ。
僧院のなかは子どもの僧がたくさんいる。食事の用意をしている者もいる。
大きな金だらいに、ごはんが入っている。
壁には、仏陀の生誕から死までの図が周りに描いてある。
それを一つ一つ説明してくれるが、英語で半分ぐらいしかわからない。
だいたいの検討がつくので相づちをうつ。しかしよくしゃべる人だ。
写真撮影は禁止だった。
 ホテルに帰って昼食のあと、大学の町カンルンへゆく。
タシガンから車で50分だ。昨年の友好協会の総会に来ていた
スポーツの教授と学生に会いにゆく。
かれらは昨年、広島のユニバーシアードに来ていたのだった。
キャンパスをあるいている学生にたずねてみる。
どうやら学生の方は卒業してしまっているようだった。
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教授を呼びにいってくれたのか、しばらく散歩していると教授がやってきた。
一年ぶりの再会をよろこぶ。教授が自分の家まで案内してくれる。
丘の上へ歩いて10分ほどのところに家はあった。紅茶をごちそうになる。
話しをしていると教授が病気の患部に手をあてると良くなるような話をする。
なにかと思うと、教授は家の中へ入って小冊子を持ってきた。
手にもっていたのは日本の新興宗教のパンフレットだった。
日本人がここまで来ているらしい。
 夕方ホテルにもどる。ホテルへもどると、ヨーロッパ系の女性と男性が来ていた。
男性は若いが、女性は少し年をとっている。
夫婦かなと思うが、どんな関係なのかよくわからない。
男性は背が高くてゴーを着ている。なかなかよく似合う。りりしい姿だ。
食事のときに、どこの人かと聞くと、オランダ人だとおしえてくれた。
あとでわかったのだが、彼女はお母さんだった。
その前わたしはティンプーで彼女を見かけていた。
 ティンプーからタシガンまで車で4日かかった。
これまでのブータンのホテルではティンプーで風呂に入ったきり。
トンサでは湯はでなかった。
トンサのホテルでは部屋のなかはボーッと顔が見える程度の明るさだった。
ろうそくを立てていた。ジャカールでは湯をホースでバケツに入れてくれる。
女性軍はすごい。あのバケツ一杯のお湯で体をあらって髪まであらうとは。
わたしなんぞ体にかかるだけでお湯がなくなったというのに。
モンガルでは途中で停電。湯はでない。
どこのホテルも風呂の設備はあるのだがこんな調子だ。
トイレもおしなべて流れない。水をバケツに溜めて流す。

by seascape_point5 | 2006-07-11 22:25 | ブータン | Trackback | Comments(4)
2006年 07月 10日
ブータン紀行(その8)
 午後1時30分すぎブムタン地方の中心地ジャカールに到着。

ジャカールの村
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ジャカールの市場
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今日はここまでだ。ゆっくりできる。ちょっと疲れがでてきた頃だ。
ちょうどよい時間配分をゲンボは考えているのだろう。ホテルに入って、自由行動となった。
町へ出てビデオレンタルの店に入る。
首都からはなれたこんなところにもビデオレンタル店がある。
そのほか日用品を売っていたり、コーヒーも飲めるようになっている。
店で聞くと、このあたりには42店ほど商店があるが全部チベット人とのことだ。
 店に遊びにきていたチベット人としゃべる。
コーヒーを飲めといって大きなカップにいれてくれる。
彼は、わたしの日本のタバコが一本ほしいという。
わたしは彼のいちばん安いインドタバコを一本もらう。
葉っぱをまるめて上辺がほそくなっている。ひと息吸うと非常にきつい。
店の主人にもわたしのタバコをすすめる。彼は吸ったことがないという。
吸うマネをして写真をとろうと言うと、彼はむせながらひと息吸った。
彼のはじてのタバコを吸う写真を撮った。
チベット人がドマをみせてくれる。
どうやって葉をつつむのか見たかったので口に入れるまでの方法を見せてもらう。
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 目のまえで店の主人の友だちの奥さんが子どもに母乳をやっている。
母乳をやりながらしゃべっている。
子どもが飲むのをやめてもそのままの姿で目のまえにいる。
こんな光景は久しく日本では見なくなってしまった。
日本の生活の話しや物価の話しをしていた。何の話しからかお金の話しになった。
主人がコインを見せてくれた。
チベット人が自分のインドのタバコと私のとを換えてほしいというので交換した。
彼のは8ニュルタム、およそ1ドルの4分の1である。私のは2ドルだと言った。
コーヒーをごちそうになったのでお礼にとおもって1ドルを渡した。
そのとき私はブータンのお金、ニュルタムをもっていなかった。
そうすると主人がさっきみせてくれたコイン、インドの1ルピーと50パイサをやるという。
ブータンではインドルピーとニュルタムは等価だ。
しかしインドではニュルタムは通じないそうだ。
それを見ていた例のチベット人がほかのコインを見せるから自分の店に来いという。
しまったと思った。1ドルも渡したのがいけなかった。
かれの魂胆はみえていた。しかしものはためしだ。彼について行く。
店に入るとコインを何個か見せてくれた。ほかにもあるけれど今はこれだけしかないという。
ブータンのニュルタム貨と10パイサのコインをくれる。わたしは1ドル札を渡す。
彼は、素早くそれを手提げ金庫に入れる。その素早さといったらなかった。
もう彼は私には興味を示さない。いやな気持ちで店をでる。お金を扱うのは難しい。
今までの楽しい会話がご破算になってしまった感じだ。私がいけなかったのだ。
安易に1ドルものお金を渡したのがいけなかった。
つい日本の感覚で考えてしまった。
ほかの店でインドのフィルターつきのタバコ2個を1ドルで買った。
しかもタバコは嗜好品でブータンの人はあまり吸わないので高いものだろう。
 他のメンバーと町で合流する。みなうろうろとしていた。
ある飲食店に入る。ちょうど高校生の女の子ふたりがいた。
餃子ふうのもの、-モモと言うらしいが-をたべていた。
学生でもこんなところにくるのか。
kさんが彼女たちにプレゼントするのでホテルに夜来るように言って、来ることになった。
 ホテルに帰る。肌寒い。ホテルにはストーブが入っている。
わたしもセーターを着る。夕食になった。ソバが出た。プタという。
バターをまぜてスクランブルエッグがまざっている。ソバは短くプツプツと切れている。
長さは10センチくらいだろうか。
ソバがつくられるのは中央ブータンのトンサからジャカールあたりまでだそうだ。
エマダッチといってチーズととうがらしを煮たもの、豚肉のパーがでた。
パーは肉を汁けがなくなるまで煮たものだ。
ブータンでは魚を食べないと聞いていたのけれども、ニジマスのから揚げが出た。
これはおいしかった。米は赤米だ。パサパサしている。
これは米の炊き方のちがいだそうだ。
湯取り法といって米が炊けてくるとその「おねば」をすててしまうのだそうだ。
 午後7時ころ、町で出会った女子学生2人がホテルに訪ねてくる。
日本からもってきたカセットテープをプレゼントする。
最近の若い人気グループの歌が入っている。尾崎豊、スマップなどだが、
私はあまり知らない。彼女たちに高校を卒業したらどうするのかたずねる。
卒業したらカンルン(タシガンの近く)の大学に行きたいと言う。
ブータンにある唯一の大学だ。
ブータンの若い人たちは大学はカンルンのシェルブツ大学に行くか、
もしくはインドの大学に行く。
そうして若い人たちが高等教育をうけ、あるいは外国の生活を知ることで
ブータンもどんどん変わってゆくのだろう。
すでに『秘境ブータン』にも書かれている。
1958年の頃でもである。
「ブータンの官吏は私のもっていたラジオで
インドの音楽を聞いては『ああインドへ行きたいなあ』とタメ息をもらす。
インドでの学生時代を思い出し、強いノスタルジアにおそわれている。」
 彼女たちにティンプーへ行ったことがあるかたずねてみる。
行ったことはあるそうだ。パロは子どものころに行ったが憶えていないとのことだった。
 kさんにカセットに入っている日本の歌の題名の翻訳をさせられる。
変な翻訳になった。その翻訳した題名を彼女たちは書いている。
 5月16日。午前9時。ジャカールを発つ。
10時15分。シェルタン・ラに到着。3470メートルだ。
12時10分最高点タンシン・ラに着く。標高3650メートル。昼食にする。気温20℃。
 ここからは標高750メートルのリグミタンの村まで下ってゆく。
標高3400メートルから3300メートル付近はシャクナゲが群生している。
ここのシャクナゲは大輪ですばらしい眺めだ。
ティンプーからずっと道幅は車1台分しかない。谷側は断崖絶壁である。
下を見るのが恐ろしい。車は下ってゆく。
3200メートル付近にさしかかった。
ブータン人の家族が道ばたにすわってカナヅチで
にぎりこぶしほどの石をたたいて割っている。
これは何かと思うと、砕石だったのだ。おそるべき人海戦術だ。
ブータンには労働の税金があるらしい。
もうすでにシャクナゲは見えない。
 午後4時30分。リグミタンの村に到着。30℃。暑い。インドふうの顔の人が多い。
あいさつをしても、愛想がよくない。家のつくりも南国風だ。
このあたりはインドに近いので、
西部、中部のブータンとは生活様式もちがってきているのだろうか。
明らかに今まで通ってきた村とは違っているようだ。
チベット文化というより熱帯地方の文化要素があるようだ。
 午後6時。モンガルのホテルに着いた。モンガルは標高1450メートル。
ホテルの近くで小さな女の子ふたりとそれよりも小さな男の子ひとりがあそんでいる。
ひとりの女の子はワンピースを着ている。まるで日本人だ。
日本で見てもブータンの子だとは決して思わないだろう。
もうひとりの女の子はインドふうの顔だちをしているが、キラを着ている。
男の子と姉弟なのだろう、よく似ている。
インドふうの女の子に「何歳?」と聞くと6才だと答える。
もうひとりの子も6才だと答える。
男の子に聞く。何も答えない。
姉の方が答える。「シックス」。おもわず笑いそうになる。
「セイム?」と聞きなおす。「イェス」。何度思い出してもおかしくて、口元がほころびる。

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 翌朝、ホテルのまわりを散歩する。中学生の男の子が3人、
女の子が2人いた。写真をみんなで撮る。
するとひとりの男の子がひとりずつ撮ってほしいという。
あと手持ちのフィルムが1本しかない。しかたない。
1人ずつ撮りかけた。すると途中でまた2人追加参加だ。あ~ぁ。

by seascape_point5 | 2006-07-10 22:33 | ブータン | Trackback | Comments(6)
2006年 06月 26日
ブータン紀行(その7)
 午後3時半。ペレ・ラに到着。ラというのは峠のことである。
約5分ごとに百メートル高度が上がる。標高は3350メートルある。
3000メートルを越えたころシャクナゲの木の群生を見るが、
花の季節は終わってしまっているようだ。
このペレ・ラが西ブータンと中央ブータンをわける境だという。
ここから中央ブータンに入る。
こんな標高の高い峠で、中央ブータンの人が被るという
円錐型の編み笠のようなものを被り、糸をつむぎながらあるいてくる
母親とその娘に出会う。こんなところをあるいているのだ。
女の子は10才かそこらだろう。おかあさんは少しはにかみながら立ち止まっている。
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 午後7時すぎ陽も落ちたなか、トンサ・ツーリスト・ロッジに着く。
中に入るとうす暗い。
電気はついているのだがろうそくのあかりぐらいしかない。
どうも村全体で電気の使用量がピークにあるらしい。
夕食後ホテルの従業員4人とわたしたち4人が参加して
食卓をどけて民族舞踊を踊る。というか教えてもらう。
手と足が合わないので、はじめは足だけを合わせる。
何度かやると、何とかついていける。
しかし、手もいっしょに合わせようとすると、全然合わなくなる。
5種類ぐらいの踊りを全員が歌いながら踊る。
踊ろうと言ったとき、たぶん踊りの上手な人なのだろう。
年配の男の従業員をつれてきた。みんな踊りが好きそうだ。
踊りは男も女も同じだそうだ。
踊るときは、祭り、アーチェリー、ツェチュなどの時だそうだ。
夕食で食べたチャパティとチャパティを揚げたプリーがおいしかった。
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 翌日、ホテルのマネージャーがトンサ・ゾンにつれていってくれる。
ゾンの中の僧院では、40から50人(もっとか)の子どもの僧が、お経を唱えている。
一段高い座には、高僧がすわっている。
子僧たちは、横に4列にならんでいる。
そのお経を唱えている中へ、マネージャーを先頭に入る。
入ったところでマネージャーが五体投地をはじめた。
おなじようにマネをして三回繰り返した。つぎに仏壇の前に行きお供えをする。
お金でよいとのことだったので、1ドルを供える。
仏壇の裏側を時計まわりにまわる。なぜか長野の善光寺を思いだす。
 3300メートルのユートン・ラを越えてお昼すぎブムタン・チュメ村に着く。
道の両側に柳の並木があり、ダルシンがたなびいている。豊かそうな所だ。
のどかな美しい所だ。
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学校があって、子供たちがたくさんいる。
どうして集まっているのかと聞くと、ランチタイムとのことで午後1時30分まで休んでいる。
子どもたちに勉強は何がすきかと聞くと、1人の男の子が数学が好きだと答える。
その次は、と聞くとゾンカと答える。
わんぱくそうな顔をしているのに、「イェス、サー」と答えるたびにきをつけをして答える。
実にかわいらしい。年齢を聞くと13才だという。
たくさんの子どもたちにかこまれてしゃべっていると、
メンバーから「maruchan、先生みたいよ。」と言われる。
ここで先生になって教えている姿を一瞬想像する。
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by seascape_point5 | 2006-06-26 22:39 | ブータン | Trackback | Comments(6)
2006年 06月 19日
ブータン紀行(その6)
 5月14日。晴れ。いよいよ今日からタシガン往復の旅行が始まる。

ティンプーの朝・弓の練習を見る
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 出発前にホテルの前のスイスベーカリーでコーヒーを飲む。
ここはスイス人の技師が許可を得てサイドビジネスとして開いたパン屋だそうだ。
なかなかおいしコーヒーだった。ひとりポットに2杯分くらい入っている。
コーヒー、ケーキ、パンを買って2人で3ドルだった。
 午前9時ティンプーを出発。タシガンまでは約570キロメートル。大きな峠を6つ越える。
道路は完全に舗装されて全行程車で行ける。
宿泊予定の町はトンサ、ブムタン・ジャカール、モンガル、タシガンである。
ティンプーの標高は約2,350メートル。
道幅は車1台が通れるほどであり、対向車が来たり、
追い抜いたりするのはほねがおれる。もっとも1日にすれちがう車は平均10数台までだ。
道路は山ひだを完全になぞってつくられている。
谷のいちばんふかいところまでさかのぼり幅の細くなった川をわたり、
また延々と平地部へ向けて走る。このくりかえしだ。
しかも山岳地だからアップダウンは頻繁だ。
そのため平均時速は25キロくらいだ。最大でも時速30キロぐらいしか出せない。
トンネルを掘ればよいのにと思う。
何かで読んだが、この道路建設の技術はインドの技術だそうだ。インドには山はない。
見渡すかぎりの平原だ。トンネルを掘る技術などないということだ。
 昼すぎ。ウォンディ・フォダンに着く。昼食のあと町をぶらつく。
ぶらつくといっても、5分もあれば町の端から端へじゅうぶん行ける。
道ゆく人は、はだしの人も多い。

ウォンディフォダンの村
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小学校があって、昼休みだろうか子どもたちが町のあちこちにいる。
子どもが2人石段のすみにすわってノートに何か書いている。
見るとゾンカの勉強なのだろう、教科書を絵も一緒に写している。
カラーペンも持っている。何をしているか聞いてもはにかんで笑うだけだ。
反対に店のなかにいる子はピクチャー、ピクチャーと大きな声でいう。
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 ゾンカというのはブータンの国語に定められている言葉で、
ブータン西部のパロ、ティンプーで使われている言葉である。
ゾンで話される言葉というほどの意味だそうだ。
大きくわけて、ブータンにはゾンカ、ブムタンカ(ブムタン地方)、
シャーチョップカ(タシガン地方)それに南部ではネパール語がつかわれている。
しかし学校教育は英語で教えられ、英語は老人以外はつかえるようだ。
わたしたちが何年も学校で英語を習っても、いっこうに使えないのとえらいちがいだ。
近年ブータンの伝統的文化が失われるのを懸念し、ゾンカの教育がおこなわれている。
 校庭からシンバルのようなものをたたく音がするので見にゆくと、
小学校1、2年生くらいの男の子が、それをたたきながら飛び跳ねているのが見える。
写真をとろうとすると物影にかくれてやめてしまう。
踊ってと言うと、はにかんで笑っているだけ。
その場をはなれてしばらくするとまた音がきこえてくる。もう一度見にゆく。
またやめてしまう。
 ウォンデ・フォダンは乾燥地だ。赤土の乾燥した土が風に舞っている。
ここは冗談でウィンディ・フォダンといわれるそうで、風のきついところだ。
パロも昼からになると風がつよかった。毎日のことのようだ。
パロからティンプーへゆくあいだの山をみても木のすくない乾燥した風景だ。
ここは乾燥地なのだ。桑原武夫編『ブータン横断紀行』にこの乾燥地について、
おもしろい考えが書かれている。
 ブータンの文化はあきらかにチベットの遊牧民族の文化をひきついでいる。
中尾佐助は「乳の流れる国」と表現している。
乳製品の利用、肉食そのほかいろんな面でその類似性があげられる。
この遊牧民が森林地帯のブータンでどのように適応してきたのか。
ブータンの照葉樹林帯に島のように点在するこれら乾燥地が
故郷の気候風土によく似ていたため仏教伝来とともに移り住んだのだろう。
やがてその「遊牧民」たちは農耕をおぼえ、ブータン人となったのだろう
という考えが書かれている。興味のつきない問題だと思う。
 このあたりの民家はパロやティンプーで見た家とちがう。
本に典型的な民家として紹介されているのは白壁で三階建ての堂々とした建物だ。
しかしこのあたりは平屋でどちらかというとみすぼらしい感じがする。
ひょっとして、紹介されている民家は裕福な家なのではないのだろうか。
 午後1時すぎウォンディ・フォダンを出発。
ウォンディ・フォダンからトンサまでは146キロ、車で約4時間半だという。気温30℃。

by seascape_point5 | 2006-06-19 20:09 | ブータン | Trackback | Comments(4)
2006年 06月 15日
ブータン紀行(その5)
 午後ティンプーにむけて出発する。ティンプーはブータンの首都だ。
パロ・チュー沿いに一本道を車で30分ほど走る。
パロ・チューとティンプー・チューの合流点だ。
ここから国境の町プンツォリンへは南に下る。まっすぐ進めばティンプーだ。
橋からチョルテンが見える。
チョルテンとはストゥーパ(塔)のことだ。
ブータン様式、チベット様式、ネパール様式の三つが並んでいる。
谷の両側は棚田になっている。家がポツ、ポツ、見える。山の頂上近くにも見える。

パロ・チューとティンプー・チューの交わるところ・チョルテンが見える
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 午後3時ティンプーに到着。宿はホテル・タクツァンだ。
ティンプーに着いてメインストリートを歩く。パロとちがって店も大きく通りも長い。
思ってもみなかったものに映画館、レンタルビデオの店がある。
パロと比べておしゃれな人がおおい。路地では肉、魚を売っている。
魚は食べないと聞いていたのに。もちろん川魚だろう。
トラウトではないことはわかるが、どんな種類のものかわたしはわからない。

BANK OF BHUTAN
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ティンプーのメインストリート
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バスターミナル
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メインストリートの交差点
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 午後7時すぎホテルに帰る。
ホテルに帰ると同行のKさんのペンフレンドがホテルで待っていた。
Kさんはもうブータンへは4回目だ。ペンフレンドは18歳の女の子。
その姉も一緒だ。どちらも純情なおとなしい娘たちだ。
妹はハイスクールの3年生。姉は財務の仕事をしているそうだ。
彼女たちは、ポットにバター茶を入れ、ビスケットと炒り米を持ってきている。
カップまでも持ってきている。大きなカップにバター茶をいっぱい入れてくれる。
色はココアに近い。味は塩味で非常に油っぽい。
一口飲んで一瞬たじろぐ。
しかしビスケットを食べながら飲むと、なんとか飲める。しかし多くは飲めない。
炒り米をポンチュという竹であんだカゴに入れている。これは昔、子どものころ食べた味だ。
香ばしい味がしておいしい。妹の方が半分飲んだバター茶に追加して、
またカップいっぱいにお茶を入れてくれる。
わたしたちがタシガンまで行って、
今度ティンプーにひきかえしてきたら家にきてほしいと、彼女たちは言う。
21日の夕方6時30分に訪問する約束をした。
その日の昼にはゲンボの家にも行くことになっている。忙しい日になりそうだ。
彼女たちが帰ることになった。まだカップにはバター茶が半分以上残っている。
カップを返さなくてはならない。わたしは気合を入れて一気に飲みほした。

ペンフレンド
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 午後8時ごろホテルへペム・ツェリン氏と奥さんが迎えに来てくれた。
奥さんのほうはランドクルーザー、彼はベンツだ。ブータンでベンツに乗れるとは。
ティンプー郊外の高台に家がある。雨が降っていた。
庭には花や木が植えてあり感じの良い造りである。
案内された部屋はシンプルな板張りの壁で、
そこには王様の写真、クゥエート大使時代の正装のツェリン氏の写真が飾ってある。
ソファに座る。奥さんの手製のスナックでウィスキーを飲みながら歓談する。
娘さんも手伝ってくれる。
話の中で中尾佐助のことをきくと、かれはその時のことを知っていると言った。
何かを探しに席を立った。「ウァー」と心のなかで叫ぶ。
期待して待っていたら、本を探しにいってくれたようだ。
しかし古い話なので本が見つからなかった。残念だ。
ブータンと日本の文化は似ているという話になった。
照葉樹林文化について英語で話そうと思ったが辞書に照葉樹林がでてなくて、
言いよどんでいると、彼が英語で「シャイニン・リーブズ」と言った。
中尾の学説を知っていたのだ。
 午後10時すぎホテルに帰る。きのうパロではシャワーの湯がでなかったけれども、
今日はシャワーが使えるようだ。洗濯もした。ベッドにころんで『秘境ブータン』を読む。
今回の旅行には、ぜひこの本をブータンにもっていってやりたいと思った。
20数年来の「お友だち」だ。
当時パロからティンプーまでは徒歩で二日かかったという。今は車で1時間半でやってくる。
当時ブータンに入国するのは非常に困難だった。鎖国をしていたのだ。
入国の方法としては有力者の招待が必要だった。
それ以上に困難だったのはブータンの外交はインドの助言に従うことになっていた。
インドの通過許可をとらなければならなかった。
インドは国境北辺にインナーラインをもうけ、
外国人のインナーラインへの立ち入りを厳しく制限していた。
ブータンへ入国するには、インドのインナーラインを通るしか方法はなかったのだ。
このインナーラインパーミットの取得がほとんどできなかったそうだ。
やっと入国できてもブータンとインドの国境の町、
プンツォリンから首都ティンプーまでは大規模な樹林帯が全体を覆い、
馬で1週間かかった。しかもその樹林帯は山ビルの巣窟だったのだ。
今回の旅行の行程にはなかったが、
今プンツォリンからティンプーは車で6時間で一気に到着するのだそうだ。

by seascape_point5 | 2006-06-15 23:02 | ブータン | Trackback | Comments(6)
2006年 06月 12日
ブータン紀行(その4)
 ホテルに帰った。夜6時すぎペム・ツェリン氏が来られた。
彼はティンプーに住んでいる。
今は政府の役人をやめてビジネスマンとして活躍している。
もの静かな方である。夕食を一緒にするあいだ、
ずっとわたしたちに気づかいをしてくださる。

ホテルの外観
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ホテルの食事
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 明日わたしたちはティンプーにゆく予定だ。ティンプーの自宅に招待してくださった。
午後8時すぎにはパロの知事がわざわざホテルまで出向いて来てくださる。
息子さんと一緒だ。知事は体格のりっぱな堂々とした方だ。
息子さんがブータンの酒アラをもってきた。アラというのはお米の焼酎だ。
その入れ物はなんと、うすよごれた調理オイルの入れものだった。
「きれいに洗っているのでだいじょうぶです。」と日本語で何度もいう。
彼は日本に何カ月か研修で滞在したことがあるそうだ。
 翌朝ホテルの前で通学中の中学生たちと話しをする。
男の子は揃いのゴーをきているし、女の子は揃いのキラをきている。
学校の制服だそうだ。もちろんブータンでは、
ブータン人は全員男性はゴー、女性はキラを着ることが義務づけられているそうだ。

ホテルの前を登校する子どもたち
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 午前9時ホテルを出発。パロの西岡農場へゆく。
西岡農場は現在は、ドゥルック・シード・コーポレーションという名前になっている。
農場で海外青年協力隊員に会う。
横浜出身の若い人である。
現在ブータンには38人の隊員が派遣されているとのことだ。
隊員どうしの交流があるのかたずねると、あまりないようだが、
月末に隊員会議があり全員集合するとのことだった。
これからタシガンまでゆくことを話すと、
「ブムタンあたりはいまシャクナゲの群生できれいですよ。」と教えてくれた。
 西岡農場をあとにパロゾンへゆく。
ゾンとは本来砦であり、まさしく城であった。
現在ではブータンにおける地方行政の場であるとともに
宗教の場つまり僧院でもある。
いわば政教かねそなえたところである。
ゾンへ入るには、みなカムニという幅0.9メートル、
長さ4.5メートルぐらいの布をたすきのようにかけなければ入れない。
階層によってカムニの色はちがう。一般人は白である。
ゲンボも白いカムニをつける。実はこれは町の布屋でかりたものだったようだ。

カムニ姿のゲンボ
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 パロツェチュが行われる広場を見た。
ツェチュとはブータンの仏教の行事であり、人々の楽しみの祭りでもある。
この日のために晴れ着をつくり、ごちそうを食べる。
とくにパロのツェチュはブータンいちの規模だそうだ。春に行われる。
広場の手前が知事の公舎とのことだ。子供の僧がたくさんいる。

パロゾンの広場・左が知事の公舎とのこと
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 ゲンボの友だちの僧に、僧院のなかへ入れてもらう。
ふつう外国人観光客はゾンへ入れないことになっている。
僧院のメインホールは修行中の子どもの僧たちが
食べたり寝たりするところであり、また勉強する場所なのである。

パロゾンの中庭
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パロゾンのラマ
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経文
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 ゾンを出て坂をあるいておりる。坂をおりたところに橋がかかっている。
この橋は映画「リトル・ブッダ」にでてきた橋だ。
映画ではこの橋をゴーを着た子どもたちが走ってゆくシーンがあった。
この橋のたもとにマニ車がある。橋を渡る人は、それを回してから渡っている。
 パロの町にもどる。ゲンボが借りたカムニを返すのにバザールの布屋にゆく。
その布屋でゲンボにドマを一つもらう。ドマとはブータン人が好んで噛むもので、
昨日会った高官たちも噛んでいた。
キンマの葉に石灰のペーストを塗り、ビンロウジュの実をつつんで噛む。
ドマを常用する人は歯が赤く染まっている。
一つほしいというと、「ノーグッド」という。すこし間をおいて「トライ?」。
一つ噛んでみる。少し噛むと木の実の味がする。舌がしびれてくる。
口のなかは実がくずれて、もろもろがひろがる。寒い時など体が温まってよいらしい。
聞くところによると、はじめての人は幻覚が出るらしい。
わたしはそのまえにはきだす。道には、赤いツバをはいた跡があちこちにある。
会う人は、ほとんど噛んでいる。

by seascape_point5 | 2006-06-12 20:50 | ブータン | Trackback | Comments(4)