カテゴリ:チベット( 19 )

2011年 10月 04日
ゆったりと時のながれる町で
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パンコルチョエデ。白居寺とかかれる。
チベット第三の町、ギャンツェにある寺だ。
背面は岩山。正面入口には赤い柱がたつ。
壁には密教の像がえがかれている。あざやかな寺だ。
パンコルチョルテンという白い仏塔が青いすみきった空にはえる。
何層もの庇は赤や金、うすい緑で模様がほどこされている。
うつくしい塔だ。
八階建ての塔で、なかには七十五の部屋があるという。
その部屋のひとつひとつに仏像や壁画がおさめられている。
階段をあがってゆくごとに、部屋があるのだ。

 ギャンツェの町には岩山のうえに砦がある。
ギャンツェ城だ。
かつてここではヤングハズバンドひきいる、イギリス軍との攻防がくりひろげられた。
いまギャンツェ城は山のうえにおおきくそびえ、町全体をみおろしている。
青い空にうかぶ白い雲が城のうえにかかっている。

 下をはしる一本のふとい街道。
ここには自動車があり、オートバイがあり、自転車にのる人がいる。
そして馬にのった人、ロバにひかせた荷車がとおる。
荷車は二輪のちいさなものだ。
荷物をうずたかくつんでいる。
ときおり砂煙がもうもうとたつ。

 パンコルチョエデの参道をあるく。
ながい石畳の道だ。
道の両側は並木があって商店がならんでいるが、人の気配はまったくない。
しずかな、しかもゆったりとした時間がながれているようだ。
参道を子どもがふたり、そのうしろに自転車をおした人がやってくる。
父親だろう。
自転車は黒くておおきな荷台がついた、ちいさいころに家にもあったような自転車だ。
父親は帽子をきてチョッキのようなものをきている。
子どもはピンクの運動靴。女の子のようだ。
よくみるとその子は自分の体よりおおきな草の塊をかかえている。
緑の塊があるいてきたようにみえた。
五、六歳だろうか。
きっと「おとうさん、はやく」とでもいっているようにうしろをふりむいている。
おとうさんはゆっくりと自転車をおしてやってくる。
日影がその子の身長よりもながく地面にのびる。

 前からまだわかい尼僧がふたりあるいてきた。
やはり、えんじ色の赤い僧衣をきている。
ひとりはかぶりものをかぶっているが、ひとりは頭をまるめているのがわかる。
おたがいに肩をよせあって、うつむきかげんにはにかみながらこちらへむかってくる。
声をかけてたずねると、やっぱりパンコルチョエデの修行僧だった。

参道から大通りへでる。
参道とは雰囲気がちがってあかるくかざった、きらびやかな店がならんでいる。
道の両側にはビリヤードの台がたくさんならんで、ビリヤードをたのしんでいる。
ひとりが、ニヤッとわらったのであいさつをした。
すこしのあいだビリヤードを見物する。
ルールはおなじようなかんじだった。
しかし、みんな玉を力いっぱい突くので玉がとび上がってしまう。
手をふってその人たちとわかれた。

 午後9時。やっとあたりはくらくなった。

by seascape_point5 | 2011-10-04 17:51 | チベット | Trackback | Comments(2)
2011年 10月 03日
峠をこえて
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 ホテルの窓のカーテンをあける。
しっとりとした濃い緑が目の前いちめんにひろがっている。
山やまが幾重にもおりかさなる。
昨日までのカトマンドゥの人びとのうごめく姿や喧騒がウソのようにしずまりかえった町にいる。
高度計は二千百三十メートルをさしている。
わたしは国境の町にいる。
チベット語でダム。ネパール語でカサ。中国語で樟木(ジャンムー)。
山の斜面にひらけた町だ。
上をみあげると、ほそい道がくねくねとつづき、山の上のほうまで町はのびている。

 昨日カトマンドゥをくらいうちに出発した。
早朝五時だった。車ではしりつづけて、十一時四十分。
出国手つづきをした。そこからあるく。
途中に橋がかかっている。友誼橋だ。
橋のまんなかに線がひいてある。国境だった。
橋をわたるとガイドがむかえにきていた。
さらに急な坂を車でのぼってゆくと、イミグレーションがある。
午後一時。入国手つづきをした。
時計を二時間すすめる。
なぜ、カトマンドゥを早朝にたつのかというと時差に関係があるのだそうだ。
中国側の入国管理局が午後四時になるとしめてしまうからだという。

 出発だ。くねくねと高度をあげながら車ははしりだす。
やがて町のおわりにでた。標高は二千三百メートル。
ネパールからチベットへは緑の森林・山やまのつらなりの連続だった。
だが、チベット高原へでると景観はまったくちがって、赤茶けた土と山はだの世界になった。
景色はかわった。
緑の山から土色の山へ。みおろすと谷間には棚田がひろがり、麦畑がつづいている。

 「チベットと聞くと心がさわぐ。
ヒマラヤの北、平均標高四千メートルのこの地のどこにこれほどひきつけられるのだろう」
と、江本嘉伸がかいている。
イスラームの碩学井筒俊彦は司馬遼太郎との対談で
「韃靼と聞くと何ともいえない興奮を呼ぶ」といっている。
みんなそんなゾクゾクと心のさわぐものをもっているのだ。
わたしにもある。
チベット、ブータンそして今西錦司、梅棹忠夫、川喜田二郎、中尾佐助、ヘディンなど。
心のさわぐところや人がある。
川喜田二郎の「鳥葬の国」の記録映画をみたのは、小学生だった。

 車は時速二十キロほどではしっている。
風がつよい。道はまっすぐだ。
高原のなにもないところをただひたすらにはしる。
われわれの車だけだ。四台つらなってはしる。
うしろをふりむくと土けむりのむこうにあとからくる車がみえる。
道幅はひろい。
二台はじゅうぶんにかわせる。山やまにはしろい雲がうかんでいる。

十一時。ニエラムにつく。検問所があって写真撮影はできない。
四千メートル付近まで車はすすんだ。麦の刈りいれをやっている。
お昼すぎにトン・ラ(峠)にでた。標高五千五十メートル。
シシャパンマやランタンリルンがみえるはずだというのだが、雲がかかってみえない。
ここからくだって四千五百メートル付近まできたときに車がパンクした。
すこし休憩だ。
ちかくに学校があって二十人ぐらい子どもがあつまってきてわれわれをとりかこむ。
子どもたちはハーハーと息をきらせている。
標高がたかいせいだろうか。
名前をおしえてくれる。いいまちがうと、ワッと歓声があがる。
付近にそまつな建物がたっている。ホテルだった。チベットホテルとかいてある。
名前とはうらはらに、土壁のひくい建物で、中をのぞくとまっ暗だった。
街道をロバにひかれた荷車がゆく。
荷車のおじさんは頭にあかい糸をあみこんだような飾りをつけ、みじかいゴム長をはいている。
ロバにもあかい房がついている。
お尻がやぶれたズボンをはいた子どもがそれをながめている。
ズボンのベルトはヒモだ。顔はうすぐろくよごれている。洟をたらしている子もいる。

 チベットは紀元前後中国の文献に羌・氐という名で登場する。
七世紀前半ソンツェン・ガンポによって吐蕃王国がたてられた。
吐蕃とはチベットがはじめてたてた王国に漢文資料があたえた名称である。
建国以来中国・インドの影響をつよくうけた。
中国からは政治的にインドからは宗教文化がもたらされた。
吐蕃は強大な国をつくり唐の長安まで攻めいって、公主つまり皇女をめとるまでにいたった。
しかし九世紀の中ごろ、古来のボン教の勢力におされ、チベット古代王国は瓦解した。
 
一九〇一年(明治三四年)日本の僧、河口慧海はこのチベットのラサへ潜入した。
慧海は大阪・堺にうまれた黄檗宗の僧である。
漢訳経典に満足せず、より原典にちかい経典をもとめてチベットへはいる決意をしたのだった。
そしてラサにたどりつき、セラ寺で修行したが、
やがて日本人だということが露見してラサを脱出したのだった。
スゥエーデンの探検家スヴェン・ヘディンもまた、チベットをめざしていた。

 慧海とヘディンは同時代の人だ。慧海は一八六六年一月うまれ。
ヘディンは一八六五年二月うまれだ。
一九〇〇年七月、慧海はドーラギリの尾根をこえてチベット領にはいっている。
同年一二月にはシガツェに到着。
一九〇一年三月に、ついにラサにたどりついた。
一方、ヘディンは一九〇〇年七月に、予備的にチベット北部を旅行した。
北東チベット、ゴビ砂漠、中国古代都市の楼蘭を放浪し、さまよえる湖ロプノールを横断。
チベットの北の国境地帯へすすんだ。
一九〇一年三月に楼蘭の発掘をおこない、五月にチベットにはいった。
そこでラサへゆくのをねらっていたのだった。
しかし、一九〇一年八月、ラサ潜入に失敗した。
かれは、ラサちかくまでいっていた。
「聖なる都からわずか数日行程のところにいる」とかいている。

 慧海はラサでダライ・ラマ一三世に謁見している。
慧海ののこされた手紙の草稿から、かれはヘディンがラサまでいけなかったことをしっていたのだった。
一九〇二年五月、慧海は日本人であることがわかって脱出をはかった。
インドへもどったヘディンは今いちどのチベット行のため準備をかさねた。
慧海と連絡をとれるようにしてもらったのも、そのひとつである。
一九〇五年一〇月。
三度の、チベット旅行へでかけた。
そしてシガツェでパンチェン・ラマにあっている。
そのころ、ダライ・ラマはモンゴルへ蒙塵していて、パンチェン・ラマが最高権力者だった。

 急激に高度があがったために、われわれのメンバーのなかにかなり体調をくずした人があった。
標高は四〇〇〇メートルをこえている。
わたしも頭痛がひどくなったけれども、鎮痛剤をのんでしばらくするとおさまった。
ラツェの手まえで車がぬかるみにはまってスタックする。
べつの車でひっぱる。
みぞれがふっている。標高四七〇〇メートル。
ラツェの町は、中尼公路すなわちラサ―カトマンドゥ間のちょうど中間地点だ。
ギャムツォ・ラとツォー・ラという二つの峠にはさまれた町である。
ギャムツォ・ラは標高五二二〇メートル。
この公路でもっとも標高のたかい場所である。

 峠には木と木のあいだにわたしたヒモにくくりつけた紙がはためく。
ルンタだ。ブッダや馬の絵がえがかれている。
ルンタが風にまう。
ルンタは生命と幸運の象徴だ。
木と木のあいだは三〇メートルほどあるだろうか。
そばには積石がたくさんある。
峠にすみ、支配している精霊をなだめるためにつまれるという。
これらは古代ボン教のおしえにかかわるものだといわれている。

 ラツェをでて、もうひとつの峠ツォー・ラをこえる。
この途中でサイクリストをみた。
途中に何か所も道路が寸断されていて、橋がなかったり、道路がとぎれていたりする。
そこで何度も河のなかをはしってゆく。
夕刻、ホテルまで一時間ほど手前でほかの一台の車のブレーキが故障したらしく、
分乗してホテルにむかった。
シガツェについた。

 シガツェはチベット第二の町。タシルンポ寺がある。
この寺は歴代のパンチェン・ラマが居住した寺だ。
パンチェン・ラマはダライ・ラマにつぐチベット第二の地位のラマで、阿弥陀如来の化身だといわれる。
ダライ・ラマは観音菩薩の化身とされる。

 タシルンポ寺にゆく。背後は山。木はない。
ひろい平地にあるおおきな寺だ。犬が五、六匹門前にねそべっている。
本殿にむかってあるく。城壁のような壁にそって石畳をあるく。
こわされた跡が目につく。
青空がひろがって塔がはえる。壁には壁画がある。カネの音がきこえる。
修復の作業だろうか、三〇人ほどの人が石をはこんだり、土をけずったり、手で石をならべたりしている。
男性も女性もいる。
みんな歌をうたいながら仕事をしている。いい声でうたう。
口笛をふいている人もいる。石やレンガを背中のカゴにのせてはこんでいる。
石畳のむこうから子どもをせおった女性。
背中にくくりつけている。本殿は五階ぐらいあるだろうか。
わたり廊下を僧があるく。作業の人があるく。

 ヘディンは三度目のチベット行でパンチェン・ラマとあっているが、そのときヘディンはカメラをもっていた。
この旅行にはかなり写真をとっているようだ。
タシルンポでも写真をとった。
しかもパンチェン・ラマもカメラをもっていた。写真をうつしあったようだ。
そしてパンチェン・ラマの現像室で現像したそうだ。

 シガツェからギャンツェにはいる。
ギャンツェにちかづくと並木があったり。麦畑がある。
ゆたかな土地かとおもう。農作業をしている人たちと笑顔をかわす。
土ぼこりはひどい。前がみえない。

 ギャンツェからラサにむかう。途中にカロ・ラをとおる。
ここも五〇五〇メートルある。ここからくだる。
ヤムドク・ツォ湖の上にでた。眼下には青い湖がひろがる。
あおむけにねころんでみる。
目をつむってじっとしていると、顔の上を風がすぎてゆく。
ここは四三〇〇メートル。
チベットの風がふく。

 わたしはまだ旅の途中にいる。

by seascape_point5 | 2011-10-03 10:04 | チベット | Trackback | Comments(4)
2007年 03月 08日
チベット旅行日記(最終回)
1998/9/12
5:00 起床
6:00 出発
7:20 クンガ空港に着く
     空港まで約100㎞ 1.5時間
     空港へ行く道を車で走る。空を見ると明るく輝く星空が広がる。
     流れ星を一つ見た。
10:52 離陸
      飛行中ずっと陸地が見えている。
      雪を被ったヒマラヤの連山が見える。左手にひときわ高い山が見える。
      カンチェンジュンガだろう。やがて右側にエベレストが見えてきた。
      機内アナウンスがある。飛行機はエベレストが見えるように旋回する。
      右手前面にエベレストの全貌が見えた。
 これでチベット旅行は終わりました。
 ありがとうございました。
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カンチェンジュンガ、ジャヌー、エベレスト、ランタン・リルン、アンナプルナ、マナスル
チョゴリザ、ローツェ、ナンガ・パルバット、サルトロ・カンリ、K2・・・・
ヒマラヤの山々の名前は夢をかきたてます。
技量も体力も何もありませんが、ただ山の名前を口にするだけで・・・いい。

小学生のときに国語か道徳か忘れましたがマナスル登頂を習いました。
日本初の8000mの登頂だったのです。

その頃少年や青年であった人たちが今、時間の余裕のある年代に達し
あの頃の夢を持ってあちこち登山をしているということを聞いたことがあります。
確かにあの頃は戦後からの復興をとげ、勢いのあった時代だったと思います。

by seascape_point5 | 2007-03-08 21:11 | チベット | Trackback | Comments(14)
2007年 03月 06日
チベット旅行日記(16)
1998/9/11
14:30 セラ寺へ出発
      セラ寺は河口慧海、多田等観が修行した寺。
      ガイドによるとどこにいたかは教えてもらえないとのことだった。
      また、見学できるところは限られており密教関連施設は見学できないそうだ。

セラ寺で僧の問答修行風景を見た。
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最後にノルブリンカに行く。

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by seascape_point5 | 2007-03-06 19:46 | チベット | Trackback | Comments(14)
2007年 03月 04日
チベット旅行日記(15)
1998/9/10
ジョカン寺の周りの八角路(バルコル)
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ポタラ宮を広場から
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1998/9/11
 7:30 起床
 8:30 朝食
 9:30 デプン寺へ
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入口付近から品の良いおばあさんと娘さんが一緒にお参りに歩いている。
顔立ちのきれいな人だ。
おばあさんは少し足が悪そうでさっさと歩けないが
娘さんがずっと一緒について登っていく。
休憩したところで「お母さんですか」と聞くと
「アマ」と言ってにっこり笑う。
写真を撮らせてほしいと言うとおばあさんの方へ手を向けて
自分はいい、というしぐさをさたが、一緒に撮らせてもらった。
感じのよい人たちだった。
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中学生ぐらいの女の子二人にあいさつをすると
やっぱり舌を出してあいさつをかわしてくれる。
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お寺の中はバター灯明を使っているため油の匂い、
体臭が混じった複雑な匂いだ。ぬるぬるしている。
マニ車を回す取っ手を持つとヌルッとしている。
食べるバターと灯明のバターは違うらしい。
そういえば参拝に来ている人たちは袋を持っていて
そこからスプーンですくって灯明の器に入れてまわっている。

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デプン寺から帰りにサイクリスト二人を見た。

by seascape_point5 | 2007-03-04 22:31 | チベット | Trackback | Comments(8)
2007年 02月 26日
チベット旅行日記(14)
1998/9/10
午後 ジョカン寺(大昭寺)へ行く
    多くの観光客だ。巡礼者も多く、店も多い。
    寺の周りは八角路(バルコル)というところで露天がずっと並んでいる。

ジョカン寺での巡礼者
五体投地
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お寺の中
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屋上からポタラ宮を望む
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夜、ホテルでヤクステーキを食べる。

by seascape_point5 | 2007-02-26 21:08 | チベット | Trackback | Comments(9)
2007年 02月 25日
チベット旅行日記(13)
チベット旅行もラサに到着です。

1998/9/10
7:30 起床
8:00 朝食
     久しぶりのごちそう。
9:30 出発
     ホテルを出てポタラ宮に行く。
     ホテルの出発風景はまるで日本の旅館の団体旅行の出発風景だ。
     欧米系の団体がたくさんいる。
     それぞれのツアー会社のバスに乗り込んでいる。

     ポタラ宮にやっと来た。
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ポタラ宮の中は、せまい通路で中にたくさんのホールがある。
歴代ダライラマの党、玉座、像がそれぞれの部屋にある。
13代、14代の玉座とベッドルームがあるというのを聞くと
やっぱり13代、14代のことは本で読んでたりするので「ああ、これが」と思う。
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宝物殿に、木の葉(patta leaves)にサンスクリットで書かれたお経があった。
美しいものだった。

ポタラ宮の屋上に上がる。
ダライラマ14世が望遠鏡で覗いていたところが
ハインリッヒハラーの本にあった。

屋上からポタラ宮の広場あたりの風景
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ポタラ宮の周囲の風景
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ラサの町角
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by seascape_point5 | 2007-02-25 15:14 | チベット | Trackback | Comments(8)
2007年 02月 08日
チベット旅行日記(12)
いよいよラサに近づいてきた。
1998/9/9
7:00  起床
7:30  朝食
      ここまで書いていると中国人のドライバーがノートを覗く。
      うなずいていた。
8:00  出発
8:30  先頭車パンク
      3910m
9:00  峠
      4330m
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10:36 4665m
      ヒマラヤ氷河を見る
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10:55 カロ・ラ
      5050m
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13:57 ヤムドォ・ツォ湖の上で休憩
      4245m
      あと2台の車が来ない。
      ラサまであと100km
      2時間
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15:24 別の欧米人のツアーの車の人に聞くと
      1台がエンジントラブルで牽引しているらしい。

      仰向けに寝転んでみる。目をつむってじっとしていると
      顔の上を風が過ぎてゆく。
      ここは4300m。チベットの風が吹く。
15:45 1台が到着
15:50 最後の1台が到着
15:52 出発
16:04 カンパ・ラ
      4794m
      ここまでジャンムーから677km
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17:20 出発
      すぐに橋を渡る
      橋を渡ってからは2車線の舗装道路になる。
      右手に行くとクンガ空港。
      河はヤルンツァンポ
18:10 ジャンムーから764km
      3505m
18:33 ジャンムーから784km
      3510m
      ラサホテル到着
      今日は朝から調子がよくなかった。しゃべるのがおっくう。
      歩くのもおっくう。車の中でじっとしていた。
      ラサが近づいてから調子が普段に戻った。
      このホテルは以前はホリディ・イン・ラサだった。

by seascape_point5 | 2007-02-08 21:37 | チベット | Trackback | Comments(4)
2007年 02月 04日
チベット旅行日記(11)
1998/9/8
ギャンツェに向う
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両側には並木があり麦畑があって豊かな土地かと思う。
農作業をしている人たちと笑顔で挨拶する。
しかし、土埃がずっと続き、前は全然見えない。
14:00 ギャンツェ着
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ギャンツェはラサ、シガツェに次ぐチベット第3番目に 大きな町だそうだ。
町の中心の丘の上にはギャンツェ城がある。
ここはイギリスとチベットの戦争の舞台となった。
1903年ヤング・ハズバンド率いる軍とチベット軍が戦ったところだ。

ギャンツェは静かな町だった。
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パンコルチョエデ(白居寺)
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パンコルチョエデの中は写真撮影が10元。
階を上がるごとに入り口があって仏像が安置されている。
修行中の子供の僧と話す。英語があまりできないので年齢を教えてくれるのも
指を折りながらワン、ツー、スリー・・・と教えてくれた。
メンバーがもう出て行きかけたのを教えてくれながら
「グッド・ラック」と言って握手を求めてきた。
すなおな子供だった。

参道を通ってホテルまで歩く。ゆっくり町の人、街並みを見ながら1時間ほどかかって
ホテルへ帰る。
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参道は長い石畳の道である。両側は商店が並んでいるが、人出は全然なく
静かな、しかもゆったりとした時間が流れているようだ。
普通なら夕暮れ時だが、ここでは時差の関係で陽がまだ燦燦と輝いている。
しかし汗はぜんぜんかかない。チベットは乾燥しているのだ。
前から子供の尼僧が二人歩いてきた。一緒に写真を撮る。
パンコルチョエデの僧だった。
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大通りへ出ると参道とは雰囲気の違った明るく飾ったきらびやかな店が並んでいる。
道の両側ではビリヤード台がたくさん並んで、ビリヤードに興じている。
一人がにやっと笑ったので挨拶をした。少しの間ビリヤードを見る。
ルールは同じような感じだ。しかし、皆玉を力いっぱいつくので
玉が飛び上がっている。
手を振ってその人たちと別れる。
ホテルへの道がわからなくなって途中で尋ねた。
チベットの人が挨拶をかわしてくれる。
その時、本で呼んだように舌を出す人もいる。
実際に遭遇してよくわかった。
18:35 ホテルに帰る
      子供たちは土のにおいがする。

      

by seascape_point5 | 2007-02-04 19:32 | チベット | Trackback | Comments(4)
2007年 01月 31日
チベット旅行日記(10)
シガツェはチベット第2の町だそうだ。
スヴェン・ヘディンも100年前にこの地を訪れ、タシルンポ寺で
パンチェン・ラマ(ダライ・ラマに次ぐチベット第2位の高僧)に会ったそうだ。


1998/9/8
7:00 起床
8:30 朝食
9:30 出発
     タシルンポ寺へ

タシルンポ寺
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ギャンツェまで90キロ。2時間の予定

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by seascape_point5 | 2007-01-31 20:54 | チベット | Trackback | Comments(7)