カテゴリ:吉野( 9 )

2011年 11月 16日
森の木陰でどんじゃらほい
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by seascape_point5 | 2011-11-16 10:42 | 吉野 | Trackback | Comments(2)
2011年 11月 15日
山里の秋
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by seascape_point5 | 2011-11-15 16:05 | 吉野 | Trackback | Comments(2)
2011年 11月 14日
西行庵
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吉野へ紅葉狩り
奥千本の西行庵で風にふかれた一日

by seascape_point5 | 2011-11-14 22:15 | 吉野 | Trackback | Comments(2)
2011年 08月 02日
柿の葉ずしと緑風をあじわいに
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 「ぜひ、新緑の頃にいらしてください。桜もいいですけど、新緑もいいですよ」。
三年前の年末に吉野へでかけた時のことだ。さむい日だった。
観光客もなく、しずかな町をあるいた。ある柿の葉ずしのお店にはいって、そうおしえてもらった。

 奈良県吉野郡吉野町。吉野川中流域の町である。
吉野川の左岸が吉野。観光地として、また歴史に何度も登場する町だ。
右岸が上市。木材の集散地としてさかえた。
吉野は歌枕にもなっている。平安中期までは山岳信仰とむすびついていた。
神秘的な修験信仰の霊地であったのだ。
それがやがて、人びとは桜の吉野へと足をはこぶようになっていった。歌もたくさんよまれた。
なぜ吉野は桜か。どうやら蔵王権現をひらいた役行者が桜を神木としたためで、
参詣客が献木をし、桜が山をうめたということのようだ。

 五月の天気がよい日をえらんで、吉野へでかけることにした。
目的は新緑をたのしむこと。西行庵へゆくこと。
これは以前に紅葉にそまる西行庵の写真をみたことがあったためである。
そして柿の葉ずしをたべることだった。

十一時二十分、電車は吉野駅についた。
大阪・阿部野橋から近鉄電車吉野線で約一時間半の行程だ。
千本口からロープウェイで吉野山上駅にゆく。山上ではバスがまっていた。
奥千本には店もないので、ここで弁当をかおうと、
柿の葉ずしをさがしたけれど周辺ではうってなかった。
しかたなく、奥千本からおりてきてからたべるつもりでいたら、
バスの運転手が、「店の前でとまってあげますよ」と、いってくれた。

出発して蔵王権現をすぎたあたりで、バスをとめてくれた。
さっそく店にはいると、店のおばあさんがスシをいそいで柿の葉につつんでくれる。これでひと安心だ。
おばあさんが店の前まで出てきて、ニコニコと笑顔で、なんども頭をさげながらバスを見おくってくれた。

 吉野は吉野神宮あたりを下千本、如意輪寺あたりを中千本、
吉野水分神社あたりを上千本、西行庵あたりを奥千本という。
ちょうど中千本の端のあたり、竹林寺で運転手が窓から「奥千本にいく人はいませんか」と声をかけている。
ひとり女の人がのってきた。
バスは一時間に一本はしっているが、お昼はやすむので、つぎのバスは奥千本二時発だという。
かえりは途中でもバスにのせてもらえるかどうかたずねると、
バス道とあるく道はちがうので、「奥千本からあるいて上千本までおりてきてください」と運転手はいった。
奥千本へはバスは上千本から五キロ、あるく道は二.七キロだそうだ。

 奥千本につくと目の前におおきな門がある。
その門をくぐって急な坂をのぼってゆくと金峯神社がある。
参道の両側の木がほとんどきりたおされ、どこか不気味な雰囲気がただよっている。
上から元気そうな登山すがたの老人のグループがおりてきた。
のってきた女の人はスタスタとこの急な坂をのぼってゆく。坂の上まであがると、吉野の山やまが一望できた。

 金峯神社の拝殿の下から左にくだると、「義経の隠れ塔」がある。
源義経が弁慶らとともにかくれ、おっ手からのがれるために屋根を蹴やぶって外へでたため、
「蹴抜けの塔」とよばれている。
修験者の修行の場所で、「大峯修行場」とかかれた一重の塔だ。
まわりはすばらしい新緑にかこまれて、涼風がぬけてゆく。
縁側に腰かけて柿の葉ずしをたべる。塩あじがきいておいしい。
隠れ塔から二度ほどアップダウンをしながらくだると西行庵にゆきつく。

 芭蕉はここへ二度おとずれている。
一度めは四十一歳のときの『野ざらし紀行』、
二度めは四十五歳のときの『笈の小文』だ。
芭蕉は、西行にあこがれをもっていた。
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、利休が茶における、雪舟の絵における、
其貫通するものは一つなり」と自分の俳諧文学の理念をかいている。
この西行庵をたずねることで、西行にちかづき、その感性にふれたいとおもったのではないだろうか。
また芭蕉には中国古典、日本の古典の素養があちこちにでてくる。
いま、この教養はわたしたちにひきつがれているのだろうかとおもう。

 西行庵の手前に清水がある。苔清水。とくとくの清水といわれる。
芭蕉は「このとくとくの清水の雫の下で俗世の塵をあらいすてたいといい」
また「このしとしととふる春雨がながれつたってとくとくの清水になったのか」と詠んでいる。
ちいさなきれいな清水であった。

 西行庵はこの苔清水からすこし先へいったところにある。
緑にかこまれたしずかな広場にその萱ぶきの庵はあった。
芭蕉が、「西上人の草庵の跡は、その奥深いさまは、まことに尊く感じる」といっている。
心地いい空間だ。しばらくこの庵の前でたたずんで、風と緑をあじわった。

 西行はいわずとしれた大歌人である。俗名は佐藤義清。
十八歳で鳥羽院の北面の武士となった。しかし二十三歳のわかさで出家した。
三十二歳前後には高野山にこもり、吉野にもたびたびおとずれたという。そしてここに庵をむすんでいた。

 さて目的のひとつ、柿の葉ずしである。
吉野ではこの柿の葉ずしは風味のある夏のごちそうだったそうで、サバずしの一種だ。
江戸時代の中ごろ紀州の漁師が熊野灘でとれた夏サバを熊野街道をとおって峠をこえ、
吉野にうりにでかけたといういい伝えがあるそうだ。
吉野にサバがとどく頃には、いい塩かげんになっていたという。
若狭のサバを都へはこんだのと同じようなことがおこなわれていたようだ。

 谷崎潤一郎が柿の葉ずしのつくり方をかいている。
米一升に酒一合の割合で米をたき、酒は釜がふいてからいれる。
飯が完全にさめるまでさますのだ。飯をにぎるときは完全に水けのない手で塩だけでにぎる。
柿の葉も魚も水けをよくとっておく。
すし桶もカラカラにする。おし蓋をして漬物石ぐらいの重しをのせる。
よく朝あたりからたべられ、その日一にちがおいしいという。
谷崎のいうのには酢をつかっていない。
今の柿の葉ずしは酢飯をつかう。ただしサバは塩だけをつかう。
そして一度だけおすようだ。「親の代からそうおそわってやっています」とおしえてもらった。

 石毛直道、ケネス・ラドルによる『漁醤とナレズシの研究』によると、
スシはナレズシと早ズシに大別できるが、中間にナマナレズシがある。
ナレズシからナマナレズシ、そして早ズシに多様化していったのである。
ところで鮓という字は魚と米でつくったナレズシのこと。鮨は魚醤の一種の塩辛で魚と塩でつくったもの。
寿司はあて字だ。ほかに寿志、寿しなどという字がある。スシは鮓とかくのがただしいのだそうだ。

 ナレズシは魚を飯とともに重しでおしてよくうれさせたもので、発酵して乳酸ができ酸味がつよくなる。
ナレズシは最古の保存食品である。すっぱい食べものであり、特有のつよい匂いがする。
ナレズシには馴鮓、熟鮓、熟鮨の漢字があてはめられている。
さまざまなスシが考案される前はスシといえばナレズシだったのである。
ナレズシのつくり方は魚の腹をあけて内容物をとって塩をつめ、桶につけこむ。
一ヶ月のちにこれをあらって腹に飯をつめこんでつけなおし、重しをして発酵させるのだ。

 室町時代にはいってスシは進化する。ナマナレの出現だ。
ナマナレとは熟していないナレズシのことである。ナレズシでたべなかった飯もたべるようになったのだ。
飯に酸味がでるかでないかの頃に魚と飯をたべた。

 十七世紀、慶長年間に関西で早ズシがうまれた。ナレズシはたべるまでに時間がかかった。
そこで酢をつかって熟成をはやめる手法があみだされた。ナレズシもナマナレも酢はつかわないのである。
酢飯をつかうようになって五目メシ、巻きズシ、稲荷ズシなどが登場し、
さらに酢飯を箱につめてその上にスシのたねをおいておす箱ズシができた。
関西では柿(こけら)ズシといわれる。杮ぶきのようにうすい切身をつかったために、そうよばれた。
この系列が柿の葉ずしになったのだ。

 やがて多様化のはてに、押しズシよりもはやくたべられるにぎりズシが出現した。
江戸末期、文政・天保にかけて普及したそうだ。
しかし関西では押しズシ、巻きズシ、箱ズシが中心であった。
スシに酢をつかうのが「酸し」のなごりになったという。

 金峯神社と西行庵をまわると一時間半ほどたった。
奥千本から上千本へあるくとバスの時間にすこしたりない。奥千本のバス停で三十分ほどまつことにする。

 竹林院までバスでおりてそこからあるく。蔵王権現の参道ある店にはいって「くずもち」をたべた。
ひらいた窓から谷間からの風がとおってすがすがしい。吉野造りといわれる建物がならんでいる。
吉野造りは懸造りといわれるたて方で、傾斜地や段上の敷地からはりだしてつくられている。
表は一階、裏は二階、三階になっている。

 新緑がきれだとおしえてもらった店をたずねる。
「三年前にきて、新緑をおしえてもらいました」というと、「ああ、そうでしたか。わたしは新緑がすきなんです。
夏にはみずひき草がきれいにさきますよ。あかい花です。
白もありますけど、緑に赤がはえて、とてもきれいなんですよ。
奥千本にいくとたくさんさいています」そうおしえてもらった。

 時間がなくて今回は西行庵にしかいけなかったが、きょうの目的ははたすことができた。
夏のみずひき草、秋の紅葉におもいをはせた。午後三時半。吉野山上駅についた。

by seascape_point5 | 2011-08-02 13:29 | 吉野 | Trackback | Comments(6)
2011年 05月 23日
とくとくの清水
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西上人の草の庵の跡は
奥の院より右の方二町計わけ入るほど
柴人のかよふ道のみわづかに有て
さがしき谷をへだてたる
いとたふとし

彼のとくとくの清水は昔にかハらずとみえて
今もとくとくと雫落ける

<『野ざらし紀行』より>

by seascape_point5 | 2011-05-23 20:22 | 吉野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 22日
桜本坊
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by seascape_point5 | 2011-05-22 17:30 | 吉野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 21日
吉野の蝶
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御典医殿にとまる人懐っこい蝶
奥千本にて

by seascape_point5 | 2011-05-21 18:46 | 吉野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 21日
吉野へ
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by seascape_point5 | 2011-05-21 18:43 | 吉野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 20日
西行庵
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新緑の吉野・西行庵

by seascape_point5 | 2011-05-20 13:21 | 吉野 | Trackback | Comments(0)